洋菓子職人の二代目と、和菓子職人の三代目が、体に優しく新鮮な素材を使ってお菓子を作っています。
丸岡家では、なるべく無添加で国産の材料を選び、取り入れるように心がけています。
創業80有余年、“いつもの大切なお菓子”をお届けしています。
創業は昭和11年(1936年)。モットーは「素材を大切に手作りいちばん」
子どもから年配の方まで、食べやすく、味わい深いと
洋酒をきかせすぎない、ほどよい甘さのお菓子です。
いつも“おうちに”あるお菓子、
いつも“みんなと”食べたいお菓子
丸岡家の「や」は「家」です。
家族が集ってお菓子をほおばる、そんな“おうちのお菓子”を作りたくて三代続けてきました。
食べた人がもう一度食べたくなるお菓子。
誰かに差し上げて、喜びの顔が見えるお菓子。
私どものお菓子が、人を優しく、温かく、心を丸くするなら、これほどうれしいことはありません。
福井市の春山にある、ちょうどいい和と洋のお菓子店が、丸岡家です。
丸岡家の由来
丸岡家は、もともと「氷問屋」でした。
福井市中心部を流れる足羽(あすわ)川を船便が行き来していた時代、福井城の外堀に面していたことから『片町』と名付けられた一帯が繁華街としてにぎわい始めた時代、商品を運ぶために重宝されていたのが氷でした。
初代・喜代二(きよじ)は、その氷問屋『丸岡家』に勤めていましたが、当時の親方から屋号を継いでほしいと依頼をされました。時代は高度経済成長期。各家庭に冷蔵庫が入るようになり、氷問屋は衰退の道をたどり始めます。
屋号を継ぐため、初代は「お寺も多く信仰心の篤い福井の人に和菓子で報いたい」と一念発起して和菓子職人の道へ。菓子作りを学ぶ学校があるわけでもなく、初代は福井の菓子店へ出向き、店主から直々に作り方を教わったそうです。
二代目・延行(のぶゆき)は、菓子業界に生クリームが登場した頃に洋菓子に魅せられ、県外で修業した後に福井へ戻りました。福井では洋菓子がまだまだ珍しかった時代。店頭のショーケースには訪れた人をわくわくさせるケーキが並びました。
三代目・健人(たけひと)は「父が洋菓子なら、自分は和菓子」と心に決め、特に「美しい上生菓子を作りたい」と東京で修業を重ねました。もともとアイデアマンだった3代目は福井へ戻った後、洋菓子と和菓子をミックスさせた新しい丸岡家のお菓子『お菓子とうふ』『はっくつバウム』を考案しました。
三代通じて心にあるのは、「福井の人に愛される菓子を作りたい」という思い。
人の心をつなげる『こころ菓子』として、ずっとずっとそばにありたい。
福井市春山地区の片隅で80年以上、場所も変わることなく、いつも食べたいと言われるような菓子を作り続けています。